「聖なる土地に立つ」  02.04.21  
              出エジプト3:1〜6,ローマ6:22〜23

 炎の中なのに燃え尽きない不思議な柴を見つけたモーセは、道をそれて
そこに近寄ります。そこは聖なる土地でした。その聖なる土地で神に出会った
モーセの歩みは、変りました。深い挫折の中を歩んでいた者が、神さまと共に
に大きな使命へと進み始めました。聖なる土地は、そこに立ち寄ったものを、
変え、生かし始めるのです。

 この聖なる土地は、シナイ山とも呼ばれるところです。私たちもそこに行けば、
信仰深い思いにさせられることと思います。しかし、聖なる土地とはそこだけのこと
でしょうか。そもそも聖なる土地とは、そこで神と出会うからこそ聖なる土地です。
 それゆえ、神と向き合い、出会い、礼拝する教会もまた聖なる土地であるはず
です。神は、シナイ山でしか私たちに出会ってくださらないような方ではありません。 
 神は、モーセが羊の世話をする日常から少し道をそれたところに、聖なる土地を
用意して下さいました。同様に、神は、聖なる土地としての教会をここに用意され
ました。それは、私たちやこの地の人々と出会うためです。

 神は、そのところでどんな出会いをされるのでしょうか。
 神はモーセ個人の名を呼びます。
 それは、呼びかける相手のことをよく知っておられるからです。
 また、神に出会うのにふさわしくない姿を見抜いて「近づいてはならない」と
おっしゃいますが、そのまま側
(そば)におらせ、語りかけ続けます。
ふさわしくないところを見抜きながらも憐れみ、赦し、愛で包み込み、受け止めて
下さる方だからです。

 教会の礼拝で、そんな神と出会うのです。自分のことを知っていてくださる神。
 本来近づけない罪を抱えているにもかかわらず、主イエスの十字架でその罪を
ぬぐいさり、喜んで私たちを受け止めてくださる神。
 その神に気づき、神の愛に目が開かれて、私たちは日常の道に派遣されて
いきます。

 神さまに愛されている者として、愛を証する者として派遣されるのです。